幸せと癒しのフォーチュンレッスン

第139回
信州善光寺1

こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのレイリィアスです。
今回は長野県にある約1400年もの歴史を持つ仏教寺院、「信州善光寺(ぜんこうじ)1」です。
境内には、多くの国宝や重要文化財があり、見どころも豊富で、長野県の代表的な観光スポットとして不動の人気になっています。また、長野は外国の方からも人気の観光地なので、長野駅周辺にはたくさんの外国旅行者の方たちが訪れていました。
古くから「遠くとも一度は参れ善光寺」「一生に一度は善光寺参り」という言葉がありますが、これは「一度でもいいから善光寺でお参りをすれば極楽往生が約束される」と古くから信じられ、信仰されてきたからです。善光寺では、念仏を唱えて祈れば、身分や性別を問わず、だれであっても極楽浄土に導いてくださるという無差別平等の救済を説く寺院として庶民の間で親しまれてきました。


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善光寺の入口にはまず大きな門、仁王門があります。
左右には迫力のある仁王像がお寺を守っています。善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側が阿形(あぎょう)、右側が吽形(うんぎょう)です。この仁王像は高村光雲とその弟子の米原雲海によって製作されました。
仁王門は、1752年(宝暦2年)に建立されましたが、1847年(弘化4年)の善光寺大地震で焼けてしまいました。その後、1864年(元治元年)に再建されましたが、1891年(明治24年)の火災で再度焼失してしまいました。現在の仁王門は1918年(大正7年)に再建されたものです。
高さは13.6メートル、間口13メートル、奥行き7メートルの重厚な門になっています。
また、門には金字で「定額山」と山号が書かれていますが、これは「伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなるしんのう)」の筆です。達筆ですね。


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「牛に引かれて善光寺参り」ということわざの元となった寺院が善光寺です。これは、普段行かない場所や、他人の誘いなどの偶然の出会いで、思いがけず良い結果につながるという意味で使われている言葉で、江戸時代から人々の間で語り継がれてきました。
そのため、善光寺境内にある案内所には、モチーフの牛の像が置かれています。
さて、このことわざの語源になったお話ですが・・・
昔々信濃国小諸にもともと信仰心のなかった老婆が住んでいました。ある時、川で布を洗濯して軒先で乾かしていたところ、一頭の牛が現れて角で布を引っかけ走り出したそうです。老婆はその牛を追いかけ、気が付くと善光寺まで来てしまっていました(老婆といっても、牛を追いかけることができるくらいということは、たぶん今でいうと50代〜くらいかなと思うのですが・・・)。日が暮れて牛が入っていったお堂に老婆も入ってみると、光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな仏の道に 汝を導く己の心を」と読めたそうです。
後日、近くの観音堂を詣でると、堂内の観音様には、牛にさらわれた布がかけてありました。それを見た老婆は、牛と思ったのは実は仏様の化身と知り、ますます善光寺への信仰を深めてすっかり信心深い人間に生まれ変わったとのことです。
この仏様こそが実は小諸の布引観音だったというお話です。観音様が導いてくださったのですね。


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そして善光寺の山門へ進む入り口には小さな石橋、善光寺の駒返りの橋があります。
この石橋の左端に穴が開いているのですが、1197年(建久9年)、源頼朝が善光寺を参拝した際に、この穴に馬の蹄がはまってしまい、駒を返したところだそうです。この穴を「馬蹄の凹み」と言っています。
善光寺は歴史の中で何度も火災に遭っているのですが、当時、善光寺の火災は不吉の兆しとされたことから、1187年(文治3年)に善光寺再建を源頼朝が命じて1191年(建久2年)に完成しました。このように、鎌倉将軍であった源頼朝は善光寺を復権した大恩人と言われています。
この凹み、ヒールで来たらうっかりはまってしまいそうですね・・・。側溝の溝には幾度も、はまったことがあります・・(苦笑)。


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六道で人間の苦しみを救ってくれるという六地蔵。
この六地蔵は1759年(宝暦9年)に造立されましたが、1942年(昭和17年)の大戦中に金属回収され、現在のものは1954年(昭和29年)に再興されたものです。
六地蔵の「六」は仏教の六道を表わしています。六道とは、私たちが迷いの世界を輪廻する道程を六の世界に分けたもの「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人」「天」のことです。
六つの地蔵菩薩は、この六つの世界に赴き、迷える人間の苦しみを救ってくださるという、とても有り難く尊い存在なのです。間違いを犯してもいつかは救ってもらえるなんて、涙ものです。


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六地蔵の左隣には「濡れ仏」と呼ばれる大仏、延命地蔵があります。
濡れ仏は水内群普光寺の真宋僧法誉円信が1722年(享保7年)に造立されたもので、像の高さは2.68メートルあります。銅像坐像で、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に宝珠(ほうじゅ)を持っています。
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈り、吉三郎が立てたという伝説もある有名な延命地蔵です。


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国の重要文化財に指定されている厳かな山門は、1750年(寛延3年)に建立されたもので、2002〜2007年に大規模修理が行われ、建築当初の栩葺(とちぶき)屋根が復元されています。これにより山門は、国内に現存する最大の栩葺建造物となっています。


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山門の正面には「善光寺」と書かれた扁額があります。この扁額の文字は「鳩字(はとじ)」と呼ばれ、文字の中に縁起の良い「鳩」が隠されているものです。3文字の中には5羽の鳩と、牛が隠れています。「善」の文字が「牛の顔」に見えるともいわれているので、よく観察してみてくださいね。


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そしてこの山門は上に上ることができるのです。参拝料を支払い、山門内部などを拝観し、山門の周りを一周する渡り廊下に出ると、地上20メートルの高さからアルプスの山々に囲まれた長野市内を一望することができます。
見ると、善光寺の境内入り口から本堂までは、碁盤の目のように整えられた「石畳(敷石)」が敷き詰められています。石畳は境内入り口から山門まで、幅5.4メートル、長さ約395メートルあり、全部で7777枚あるといわれています。
そして、この石畳には悲しい伝説が残されているそうです。
その昔、江戸中橋の豪商である大竹屋平兵衛には一人息子がいましたが、酒と女に溺れおぼれて家に寄り付かなかったそうです。ある夜、平兵衛の家に盗賊が入り、平兵衛がその盗賊を突き刺したところ、なんと惨いことか・・盗賊は我が子だったのです。その後、平兵衛は善光寺に来て出家し、敷石を寄進したと言われています。
この石畳は江戸時代中期から参拝に訪れる人々の足元を支え続け、現在では長野市の文化財に指定されています。


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本堂に向かって手前右側にあるのが鐘楼(梵鐘)です。
長野オリンピックのときに開会を告げた「時の鐘」です。
現在、信州善光寺にある鐘楼は、1667年(寛永7年)のもので、建物は1853年(嘉永6年)に再建されたものです。
もともとの鐘楼は、1179年と1268年の善光寺火災の際に、火を受けて修理され、現在では甲斐にある甲斐善光寺にあるそうです。なぜ信州善光寺にあった鐘楼が山梨にあるのかということですが、これには有名な川中島の戦いが関係しているそうです。
上杉謙信と武田信玄による川中島合戦の際に、武田信玄は善光寺如来を甲府に移すのですが、この時、善光寺の本尊から鐘楼・仏具まで全部を移し、そして新たに甲府に建てられたお寺が現在の甲斐善光寺です。
その後、善光寺のご本尊は戦国武将によって各地を転々とし、約40年後にようやく信州に戻ることになります。
ご本尊は信州善光寺に戻りましたが、もともとの鐘楼は長野から甲府まで運ばれ、甲斐善光寺にそのまま残されました。このもともとの鐘楼は重さ150キロもあり、運ぶ際に小さな傷が無数についたために「ひきずりの鐘」とも呼ばれているそうです。甲斐善光寺に参拝したら、ぜひそれを見てみたいですね。


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善光寺の御朱印は通常の御朱印のほか、季節限定の御朱印や、善光寺にまつわる逸話をモチーフにした御朱印など、さまざまな種類があるのでどれも欲しくなってしまいます。まさに御朱印パラダイスです。また、善光寺の御朱印帳も美しくて好きです。
善光寺の歴史を知ると、ますます様々な想いがわいてきます。
ありがとうございます。

次回は「善光寺2」で本堂を巡ります。
お楽しみに。