こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのレイリィアスです。
今回は「北海道6」です。
まずは函館のランドマーク、五稜郭タワーへ。
現在の五稜郭タワーは、2006年の平成18年4月にオープンした2代目のタワーです。
五稜郭にちなんで、五角形の星形をしているそうです。
初代のタワーは、1964年(昭和39年)に建造されましたが、当時の航空法の制限に則って展望台の位置は45メートルでした。現在は高さ制限が緩和され、タワー全体の高さは107メートル、展望台2階の高さは90メートルになりました。
このタワーに登ると、函館を360度パノラマビューで一望できます。なかなかの絶景なので、函館を訪れたらマストで体験したい場所です。
展望2階には、竣工当時の五稜郭を再現した復元模型や、土方歳三のブロンズ像があります。また、箱館戦争の歴史を記したメモリアルポールがあり、五稜郭の歴史を学べます。
そして、この五稜郭タワーの展望台からは、特別史跡の五稜郭を一番きれいに眺めることができます。星型の五角形のような珍しい形は、約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ造られた城塞都市(じょうさいとし)を参考にしたものです。このような形を「西洋式土塁」と言っています。1857年に工事が始まり、ほぼ完成したのが1864年です。西洋モダンな函館にマッチするデザインですね。
五稜郭の中には箱館奉行所(はこだてぶぎようしょ)があり、敵から守るための工夫が詰まっています。箱館奉行所は幕末の箱館開港に伴って徳川幕府の役所として設置されました。
しかし、五稜郭へ移転してわずか4年の1867年に大政奉還が行われ、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、江戸幕府が終わりを告げました。1868年に起こった戊辰戦争において、函館が最後の舞台となっていくのです。
1868年(明治元年)10月26日に旧幕府軍が五稜郭を占拠するものの、翌年の1869年の春には新政府軍に攻め込まれ、1869年5月18日に旧幕府軍が降伏して戦争が終わりました。この戦争は箱館戦争とも呼ばれ、旧幕軍側指揮官の一人だった土方歳三は、最後まで己の信念を貫き、35歳の若さで亡くなりました。現在の箱館奉行所は2010年(平成22年)に復元されたです。五稜郭タワーには、新選組などのグッズも販売されていて人気です。
五稜郭タワーの向かい「五稜郭公園」のすぐそばには最上寺(さいじょうじ)があります。
最上寺は、1932年に海軍事務官だった初代住山日遠上人が、戊辰戦争最後の戦いの地でもある五稜郭に日蓮宗の信行道場を開設したのがはじまりだそうです。新選組の旗が力強く立っています。
箱館戦争において新政府軍と激闘を繰り広げ、若くして銃弾に倒れた土方歳三は、幕末の動乱を駆け抜けた真の武士でした。そのため、今でも多くの人々から敬愛されています。
最上寺では五稜郭を模った星形の印が印象的な御朱印をいただけます。なんと土方歳三の御朱印もここで受け取れるのです!! 実はこれが欲しかったのです。
星の形がとても好きなのと、ちょうど御朱印をいただいたのがゾロ目+土方歳三御朱印ということで、ちょっとウキウキ気分になりました。
そして函館山の南東麓に鎮座するのは函館八幡宮(はこだてはちまんぐう)です。
室町時代の1445年に亀田郡の領主が館を築いた際に、八幡神を祀ったことから始まったと伝えられていて、現在では函館市民に北海道の開拓に関わる神として、「八幡さん」の愛称で親しまれています。
1799年(寛政11年)に江戸幕府が東蝦夷を幕府直轄領にし、八幡宮があった場所に箱館奉行所が設置されたため、1804年(文化元年)に現在の函館市元町北東部に社殿が作られました。その後、1878年(明治11年)に社殿が焼けてしまったため、現在の谷地頭に遷座されました。本殿は威厳のある外観になっています。また、大神輿と呼ばれる金箔を施した神輿もあります。
函館八幡宮の御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと) /別名・応神天皇(おうじんてんのう)、住吉大神(すみよしのおおかみ)、金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)です。
函館八幡宮は漁業、航海の守り神として知られ、健康長寿、商売繁盛、安産、開運厄除けなどのご利益があります。
摂末社は鶴若稲荷神社と豊川稲荷神社があり、御朱印も一緒にいただけます。
函館は自然も豊かで、力強いエネルギーとパワーもたくさんいただくことができました。
ありがとうございます。
次回は北海道の旅のラスト「北海道7」です。
お楽しみに。
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原稿提供元 アカデメイア