こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのレイリィアスです。
今回は沖縄県国頭郡今帰仁村にある城跡、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)です。
今帰仁城跡は那覇市から車で約90分、沖縄本島の北部の本部半島にあり、別名「北山城」とも呼ばれています。沖縄本島を支配していた琉球統一以前の北山王の居城だったグスク(城)跡で、沖縄の歴史に重要な役割を果たした場所としてその名を刻んでいます。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として世界文化遺産に登録されました。
波打つ石積みが山の上へと延びていく美しい曲線が特徴の石垣は「城壁」と呼ばれるもので、今帰仁城跡の大きな見どころとなっています。この独特な石垣の様式には、当時交易のあった中国の城郭建築の影響も見られるといわれています。そういえばどこか「万里の長城」のようでもありますね。
石垣の長さは約1.5キロメートルもあり、これは首里城に次ぐ規模とのこと。外郭を含めて7つの郭(くるわ)から構成されている今帰仁城は2006年に「日本100名城」にも選ばれています。屈強な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、このやんばるの地を守る要の城でした。波打つように大きく曲がっている一番の理由は防御のためといわれています。自然の形をそのまま活かして積み上げる「野面積み(のづらづみ)」という伝統的な技法を使い、石の自然なままの形を生かして造られています。敷地内から採れた古生代石灰岩と呼ばれる堅い石が使われているため、アンモナイトの化石などもたびたび見つかっているのだとか・・・。
まるでファンタジー世界に迷いこんだような雰囲気がありますね。
14世紀頃、沖縄本島は北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)という三つの勢力に分かれて争っていた「三山時代」がありました。北山王国は中国明王朝との貿易によって発展し、都として栄えていました。今帰仁城は、この北部の勢力である北山の国王の居城であり、政治・軍事の中心地として大切な要所でした。
しかし、1416年または1422年ともいわれていますが、中部の中山を治めていた尚巴志(しょうはし)によって北山は滅ぼされてしまいます。その後、1429年に尚巴志は三つの勢力を統一し、初めての統一王朝である琉球王国の建国を果たしました。北山が滅亡した後、今帰仁城には琉球王府から「監守」と呼ばれる役人が派遣され、引き続き北部地域の統治拠点として使われていきました。それから時代が進んだ1609年に、日本の現在の鹿児島県である薩摩藩が琉球に侵攻していきます。この戦いの際に今帰仁城は激しい攻撃を受け、火災で城の建物は、焼け落ちてしまったと伝えられています。
その後、城としての機能は失われてしまったものの、地域の信仰の中心地である「御嶽(うたき」として、皆の神聖な場所となっていきました。
このように、今帰仁城は琉球王国の成立から薩摩藩の侵攻まで、沖縄の歴史の大きな転換点に関わってきた重要な遺跡なのです。
今帰仁城の戦いを描いた文献にも登場するほど重要なポイントである正門の「平郎門(へいろうもん)」。
この門は昭和37年に修復された石の城門で、この壁の中からは有料になっています。
門の横には、城内で最も高いとされる「大隅(ウーシミ)」の石垣が聳え立っています。中には寒緋桜が沢山植えられているので、毎年1月末から2月頭にかけて見事な花を咲かせるそうです。その時期に訪れてみるのも良いですね。
今帰仁城跡の「大庭(うーみやー)」には絶世の美女の慈愛をつづった歌碑があります。
その昔、北山王の側室に志慶真乙樽(しげまうとぅだる)という絶世の美女がいました。
志慶真乙樽は王様と王妃の間に生まれた世継ぎの王子をとても可愛がり、王位争いで内乱が起こった時も、命がけで守ったそうです。そんな心優しい志慶真乙樽は、のちに神として「今帰仁御神(なきじんうかみ)」と呼ばれるようになりました。真の愛を持っていた心の美しい女性だったのでしょう・・。
今帰仁城跡には今は基壇や礎石が残るだけですが、かつてはお城の中心的な建物がありました。頂上からは海と水平線が視界いっぱいに広がり、よく晴れたこのような日には、遠くに浮かぶ与論島や周辺の島々の姿を望むことができます。当時の人々もこの美しいターコイズブルーの海の絶景を眺めていたことでしょうね。
今帰仁城に仕えていた女官の生活の場所と伝えられいる「御内原(ウーチバル)」。昔は男子禁制だった神聖なエリアで、当時の歴史の空気感を感じられます。
また、城主に仕えた人々が住んでいたと考えられているエリア「志慶真門郭(しげまじょうかく)」などがあります。
城内で最も中心的な建物があった場所「主郭」など・・。発掘調査によって築城から廃城までの時期変遷を確認することができ、歴史の重みを感じ取ることができます。
また敷地内には「火之神の祠」や、「古宇利殿内(フイドゥンチ)」などと呼ばれている「拝所(うがんじゅ)」があり、今でも拝みに来る人がいます。まさに今帰仁城跡は沖縄の人々にとって大切な「聖なる場所」でもあるのです。
そして、沖縄県北部の本部町の海岸線沿いには沖縄のパワースポットと呼ばれる「備瀬のフクギ並木」があります。
ここは数千本のフクギ(福木)が約1キロメートルにわたって並ぶ美しい並木道になっています。福木は漢字のとおり幸福を招く木として知られています。
並木道の入り口付近には「夫婦福木」と呼ばれる、2本の寄り添って立っている巨木があり、夫婦円満や幸せを呼ぶパワースポットとして特別な場所になっています。
この並木のフクギは古いものだと樹齢300年以上もあり、琉球王朝時代から長い歴史を持っていて18世紀頃から植えられ始めたと考えられています。当時の王府は国策に風水を取り入れ、自然と共存するためにフクギもその一環として植えられたそうです。約100年前には防風林として整備され、台風から集落を守り続けてきました。
フクギ並木は、沖縄の昔ながらの家々が建ち並ぶ集落の中にあり、琉球王朝時代から続くこの緑あふれる風景も異世界っぽくて大好きです。ゆっくり徒歩で散策するのも良いですし、レンタサイクルや水牛車で観光するのもおすすめです。時間の流れがゆっくりと過ぎていくように感じられます。
フクギ並木の先には透明度の高い海と砂浜が広がっている美しい備瀬海岸や備瀬崎があります。ここでの絶景ポイントは、なんといっても伊江島の「塔頭(たっちゅう)」に沈む夕日の光景です。多くの観光客が夕日タイムには集まってきていました。
実際に本当に素晴らしくて日が沈むまでまったりと癒されていました。
今帰仁城跡の城壁は、荘厳で美しく、当時の建築技術と人々の努力を感じさせてくれました。
そこには確かに人の営みや想いがありました。
沖縄の哀しい歴史を知り、美しい海を眺めると、思わず手を合わせずにはいられません。
ありがとうございます。
次回は「グアム」です。
お楽しみに。
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原稿提供元 アカデメイア