こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのレイリィアスです。
今回は山梨県富士河口湖町にある冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)です。武田信玄公が安産祈願をしたことで有名な神社でもあり、全国にある浅間神社の一社です。平成25年にユネスコ世界遺産委員会によって「富士山世界文化遺産」の構成資産の一つとして登録されました。富士山はいつ見ても美しいですね。
冨士御室浅間神社は、699年に「藤原義忠(ふじわらの のりただ)」によって富士二合目に奉斉されたと伝えられる富士山最古の社です。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱でめぐらせた中で執り行っていたことによるものだそうです。
その後、807年には坂上田村麿(さかのうえの たむらまろ)が蝦夷征伐の御礼として社殿を創建しました。その後、富士山噴火の影響で幾度も炎上し、厳しい自然条件の場所のための腐敗も激しく、そのたびに皇室及び、武田家をはじめとした有力な武将などにより再興が重ねられてきました。
冨士御室浅間神社の表参道を通っていきます。
富士山の北麓に位置する冨士御室浅間神社は、本来の神社境内が存在する本宮(もとみや) と移築後の社殿が現存する里宮(さとみや)の2箇所から成っています。富士山を背に本宮、里宮は河口湖を背に建てられ、また、里宮と大鳥居を線で結ぶと、その先には美しい富士山が望めます。中世には修験道、近世には富士信仰と結びついて発展し、特に戦国時代には甲斐武田家三代に渡って崇敬を受け、武田信玄公直筆の安産祈願文を始め、多数の古文書が今も大切に保管されています。
富士山2合目にあった富士山最古と言われる社殿を移築した富士御室浅間神社の本宮です。拝殿の奥に見える小さなお社が本宮の本殿で、富士山中最古の社であり、国の重要文化財に指定されています。現在の本殿は、1612年当時当地方の領主であった鳥居成次(とりい なりつぐ)によって建てられたもので、構造は、一間社母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮茸形銅板茸きであり、桃山時代の特徴をもっています。
「神使の撫牛」
自分の体の悪いところを撫でてから、牛の同じ場所を撫でると病を治してくれる有り難い牛です。皆にたくさん撫でられているので、とてもピカピカです。
境内には、百福の龍宝珠(りゅうほうじゅ)と呼ばれる石像が置かれています。多数の「福」と刻まれた宝珠を囲むように8匹の竜が絡み合っています。高さは台座を含め約2メートル。宝珠は災難を除き、福を授けるとされ、上昇や発展を象徴する竜には国家・地域の繁栄への願いが込められ、2013年の社務所の新築に合わせて造られたそうです。とても有り難いご利益がありそうです。
御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の御息女で、天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の妻であり、とても美しい神様です。火の中で皇子を無事ご出産なされたという故事から、良縁、子宝、安産、火除けなどの御神徳があります。
「隋神門」
神様がお通りになられる神聖な感じがします。奥には里宮があります。
御室浅間神社里宮の拝殿です。
里宮は、958年に村上天皇が崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため建立したもので、以来武田家、小山田家、そして徳川家から手厚い信仰の庇護を受け、その後、明治22年に再建されたものです。カーブのついた屋根の形や、まっすぐな注連縄(しめなわ)が特徴的です。
とても厳かな感じですね。
冨士御室浅間神社は山の大地のエネルギーが強く、金運アップや商売繁盛などのご利益があるといわれています。そのため、冨士御室浅間神社のお守りは、富士山の霊力を感じられるレアアイテムとして参拝者に大人気です。
富士御室浅間神社の御朱印は通常3種類の御朱印をいただけるそうですが、期間限定御朱印などもあります。
冨士御室浅間神社は富士山周辺の最強のパワースポットともいわれています。
そのため、そんなパワースポットの強い氣にあてられたのか、不思議なことに、この神社に行った記憶がほとんど失われていました。行ったはずなのに、覚えていないという摩訶不思議な現象が起きていました。まるでアニメ映画「君の名は」みたいな、夢を彷徨っているような現象の感覚・・。今回は写真を頼りに、ずっと忘れていた記憶を掘り起こしてみました。
いつかまた機会があったら訪れてみたいです。ありがとうございます。
次回は「甲斐国 一宮浅間神社」です。
お楽しみに。
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原稿提供元 アカデメイア