こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのレイリィアスです。
今回は与論島(よろんとう)の1回目です。
旧来の読み方は「よろんじま」ですが、「与論」は琉球方言で「ユンヌ」と呼ばれていたものが変化したもので、1970年代に観光振興の目的で外国風に「ヨロン島」と表記して読ませたものだそうです。「女神アマミク」と「男神シニグク」が島に辿り着いたところ、島が浮き上がり与論島が造られたという神話があるそうです。
ヨロン島は沖縄本島まで約23キロと近いので沖縄の島のようですが、実は鹿児島県の最南端にある鹿児島の島です。歴史的には薩摩と琉球の両方の影響を受けています。ヨロン島へは鹿児島空港や奄美空港、そして那覇空港から飛行機でのアクセスか、鹿児島や那覇からフェリーなどが出ています。羽田からは直行便がないので、今回は那覇で乗り換えて飛行機でヨロン島へと向かいます。那覇空港からは約40分でヨロン島に到着します。空から眺めるヨロン島は周囲約23kmの珊瑚礁が隆起している透明度の高いリーフに囲まれた美しい姿をしています。これを見るだけで気分が高まります。
ヨロン島での移動はバスやタクシー、そしてレンタカーやレンタサイクルが便利です。人口は5,000人ほどの小さめの島なので、車で島を一周しても一時間ほどなので、いろいろと巡りやすいです。また、ホテルや民宿などによっては空港やフェリー乗り場まで送迎などのサービスもあります。
やってきたのはヨロン島の南側の坂の上にある「与論城跡」です。
島で一番の高台にあるので、ここからは360度のパノラマ風景を見渡せます。
奄美群島南部と沖縄本島北部を支配していた北山王国(ほくざんおうこく)の帕尼芝(はにじ)王の三男の王舅(おーしゃん)が1405年から1416年頃にこの地に与論城を築きましたが、本国の北山が滅ぼされたため、城は未完成のまま築城中止になりました。今では石垣が残るのみです。
現在では、与論城跡は地主神社(とこぬしじんじゃ)・琴平神社(ことひらじんじゃ)の境内となり、王舅の墓があります。
琴平神社は第二次世界大戦中の1945年に米軍の爆撃により一度焼失しましたが、島民の寄付により再建されました。
琴平神社には、大国主之命(オオクニヌシノミコト)、市杵島姫之命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真公の三柱の神が祀られています。
地主神社は、島の神である大地主(おおことぬし)の神を祀った神社です。
御祭神は大地主之神(おおとこぬしのかみ)です。大地主之神とはヨロン島に元来あった神々を合祀したものだそうです。
ヨロン島では拝所は「ウガン」といいます。
この地主神社の祠の横にあるのは辺後地拝所(ピグチ ウガン)です。
ピグチというのは陽口を意味するといわれ、ニライカナイを拝する場所です。
ここには与論に城を築いた王舅が眠っています。静かな祈りの場です。
地主神社で御朱印をもらうと、清め砂も合わせて拝領できます。
沖縄返還前のヨロン島は日本の最南端の島として大人気で、当時は年間20万人を越える観光客が訪れていたそうです。島を訪れてみると、その時代の建物がたくさん残っています。今ではそのブームは去ってはしまいましたが、一度でもこの島を訪れるとリピーターになってしまうそうです。実際、何度もダイビングで訪れているといった観光客の皆さんがたくさんいました。確かに素敵な旅になりそうな予感がします。
ありがとうございます。
次回は「与論島2」です。
お楽しみに。
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原稿提供元 アカデメイア